こころを探求して癒す

「精神療法とは?」
クライエントに自分のこと―症状、日常生活でのエピソード、記憶、夢など―を自由に話してもらい、それを治療者は傾聴し、共感的に理解することによって、症状や困難の背後にあるこころの在り方―受け入れがたい情動や空想、考え―を探求していくことで、問題の解決をめざします。その道筋のアウトラインは次のようなものです。
「自分をわかってもらう」
治療者は話をよく聞きつつ、どう理解したかを言葉でフィードバックします。それが適切ならば、クライエントは「わかってもらえた」と感じられるでしょう。クライエント自身が気づいていることであっても、ひとには話せない、あるいはひとが関心を示さないと感じていたことが理解される体験は、自分の存在が認められたという思いにつながります。その積み重ねによる信頼感なくして、未知の自分の探求はありえません。
「わからないこと」
もっとも治療者がどうも共感できない、「わからない」と感じることもあります。実は、わからないことをわからないと気づくことは大切なことなのです。こころの秘密やトラウマの体験は、クライエント本人にも、よくわかっていないことも多いのです。こうした未知の自分を知ることには痛みが伴うので、治療者は「ずかずかと入りこむ」べきではなく、自らの感性を活かしながら忍耐強く、わからないものに接近していくのです。
「無意識的コミュニケーション」
精神分析とは、謎解きのように頭を使って解明するものではありません。治療者はクライエントからの無意識的コミュニケーションを自らのこころで聴きとり、受けとめ、消化することで、「わからないもの」を理解していくのです。それは他人事してではなくて、我ことのように引き受けられ、こころのなかで変容されるのです。
「こころの闇の真実」
こうした治療者の理解が伝えられたとき、クライエントに「腑に落ちる」と感じられるならば、こころの闇のなかの見にくい真実が見え始め、それは自分の一部として受け入れられるようになります。ネガティブで醜かったものは、新たな生命力と希望の源へ変化していって、それが育つことで、こころの奥から癒されてくるのです。

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